チケット&スタジアム

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この数字は、ドイツ最大のサッカー専用スタジアム、ジグナル・イドゥナ・パルクの収容人数だ。

ガラス張りの正面玄関にグラウンドヒーター、そして最大規模の立見席を備え、8万人以上を収容するサッカー専用スタジアムがドルトムントに完成する。30年前にそんな話を口にしても、ドルトムントの市民は誰一人として信用してくれなかったに違いない。現在、“シュトローベルアレー”には8万552人を収容するドイツ最大のサッカースタジアムがそびえ立つ。この“巨大要塞”によりBVBが破産寸前まで追い込まれたことはさておき、クラブが危機的状況から抜け出したのは2006年5月のことだった。

シュトローベルアレーに位置するスタジアムは、サポーターに“神殿”と呼ばれ、メディアや選手、著名人にも「ドイツで最も素晴らしいスタジアム」と評価されている。3度目の拡張工事を終えた現在は、欧州で最も大きく、最も快適なスタジアムの一つとなった。長期に及んだ建設・改築の過程は、2006 FIFAワールドカップに向けた改修工事の最終段階でクライマックスを迎えた。

このスタジアムの物語が始まったのは40年以上も前。正確には1965年4月5日のことだ。旧ローテ・エルデ・スタジアムの拡張と近代化について、議論に4年の歳月を費やしたドルトムント市議会は、同スタジアムの増改築ではなく、すぐ隣に新たなスタジアムを建設するというアイディアに至った。旧ローテ・エルデ・スタジアムの並びに建てられるため、“ツインスタジアム”と呼ばれることになった新スタジアム建設への第一歩だった。

しかし、このプロジェクトが本格的に始動したのは、ケルン市が新スタジアム建設を断念した1970年初頭だった。ケルン市の決定によりドルトムント市が1974 ワールドカップの試合開催地に選ばれることになり、新スタジアム建設への道が切り開かれたのだ。それでも州基金の援助がなければ、ベストファーレンシュタディオンの資金調達は不可能だったに違いない。

市議会の決議から9年後の1974年4月2日、ついにベストファーレンシュタディオンが完成する。立見席をメインに5万4000人を収容するこのスタジアムでは、オープニングゲームにシャルケ04との親善試合が行われた。それ以来、このスタジアムの魅力は全く変わっていない。ピッチまでの距離が近く、地元サポーターの熱狂的な声援が屋根に反響する“ドイツ・サッカー界のスカラ座”の独特な雰囲気を表現するため、ラジオの解説者は様々な言葉を矢継ぎ早にまくし立てている。観客を魅了し、相手チームを震え上がらせているのが、こうしたすべての要素が生む、このスタジアムのしびれるような雰囲気だ。2006年5月の集計によると、ブンデスリーガ18チームの所属選手がハンブルク(得票率28%)に次いでドルトムント(同27%)のスタジアムをお気に入りに挙げている。

高さ62メートルにも及ぶ黄色い支柱は、ドルトムント市の街並みに一際映えるランドマークだ。2005年12月からは、3.5メートル大のアルファベットで記された新スポンサー名、“SIGNAL IDUNA”もB54やB1から目視できるようになった。このスポンサー名は日中には黒く、夜間になると照明で白く輝く。

拡張工事を終えた直後から、この“神殿”はBVBサポーターが誇らしげに自慢するスタジアムとなった。その証拠に、ここ数年は驚異的な観客動員数が記録されている。ブンデスリーガで最も偉大な(しかも最大の)スタジアムでサッカーの祭典を楽しむには、息を飲むような構造と熱狂的なサポーターが欠かせない。2006年のワールドカップに向けた改修工事(1974年当初から残っていた座席を撤去、下層スタンドを解体)が終わった現在、このスタジアムの収容人数は8万708人となっている。

ジグナル・イドゥナ・パルク – 由緒あるホームの新名称

黄色と黒に支配された要塞、ベストファーレンシュタディオンがジグナル・イドゥナ・パルクに改名されたのは2005年12月1日。ドルトムントとハンブルクに本社を置くジグナル・イドゥナ社は、数年前からスポンサーとしてBVBを支えてきた大手金融保険会社だ。BVBにとって“最高のパートナー”というべき同社は、2011年6月30日までの契約でドイツ最大のスタジアムの施設命名権を取得した。

「新たなネーミングライツ・スポンサーとして、BVBの要望にはすべて応えました。私たちは当社のコーポレートカラーである青の使用を控えることにしたのです」。ジグナル・イドゥナ社のラインホルト・シュルテCEOは語る。「ドルトムント市とBVBサポーターの気持ちは理解しています。ベストファーレンシュタディオンからジグナル・イドゥナ・パルクに改名した事実が認知されるまで、しばらく時間を要することも分かっていました」

BVBのハンス・ヨアヒム・バツケ会長は、「サポーターの気持ちを考慮しつつ、新たな色使いとロゴを考案した」ジグナル・イドゥナ社に謝意を述べる一方、「当然と考えてはならない厚意」に言及。「スタジアムのネーミングライツを譲渡することなく、ブンデスリーガを戦い続けることはできない」点も強調した。ブンデスリーガのスタジアムにスポンサー名が入るのは、ジグナル・イドゥナ・パルクで11例目。ベルリンのオリンピアシュタディオンは改修工事に公的資金(2億9200万ユーロ、約277億円)が投入されたため、個人投資家の資金援助を必要としなかった。

認知度向上によるジグナル・イドゥナ社の業績アップに期待するシュルテCEOは、「BVBとしても経済的基盤が強化されます。両者の関係がBVBの利益になるのであれば、サポーターにも歓迎されるのではないでしょうか」と付け加えた。

写真:黄色と黒に支配されたスタジアム:ロゴを背景に並ぶラインホルト・シュルテCEOとハンス・ヨアヒム・バツケ会長

スタジアムの歴史
1965年4月: ドルトムント市議会が、ローテ・エルデ・スタジアムの拡張工事ではなく新スタジアム建設に賛同。
1967年10月: ドルトムント市がワールドカップ1974年大会の試合開催地に立候補。
1970年5月: ドルトムント市のスポーツ局長リュッテルが、パレット工法によるスタジアム建設を計画。総工費はわずか2700万ドイツマルク(約13億円)程度。
1971年10月: 市議会がベストファーレンシュタディオンの建設を決議、14日後(1971年10月18日)に着工。
1974年4月: スタジアムのオープニングゲームとしてBVB対シャルケ04のルールダービーを開催。その15日後には初の代表戦(対ハンガリー)が行われる。
1992年8月: 北スタンドの立見席を座席に改修した結果、収容人数が4万2800人に減少。
1996年8月: 大規模な改修工事を敢行。東西のスタンドだけで5万5000人収容となる。
1999年7月: 2度目の拡張工事が完了し、6万8600人収容のスタジアムに生まれ変わる。
2003年9月: コーナー席の改修が終了。収容人数はドイツ最大の8万1264人となる。
2003年12月: ドルトムント市がワールドカップ2006年大会の試合開催地に決定。準決勝の1試合がドルトムントで行われた。
2005年12月: 地元密着型の大手金融保険会社ジグナル・イドゥナ社が6年契約でネーミングライツを取得し、ベストファーレンシュタディオンがジグナル・イドゥナ・パルクに改名される。